カンボジアの風

 

チャンギ空港から飛び立つ飛行機の中で思い出して数えたが、

カンボジアは、私にとって25か国目の訪問国だ。

 

思えば、もっと早く来る予定であったし、

まさか、仕事で来るとは思わなかった。

 

最も親しい建築の友人は、大学の枠組みを超え、

アンコールワットの調査団として、

保存・修復要員としてバイヨン遺跡を測量調査している。

 

地雷の調査の完全に済んでいない17,18年ほど前、

辛い作業の話の中に、遺跡の魅力と、

建築文化の保存に関わる誇りが伝わってきた。

 

アンコール(カンボジア)、チャンパ(ベトナム)、ボルブドゥール(インドネシア)、

当時行きたいと願った遺跡群は、今も私の中で行きたい場所上位に鎮座している。

 

 

大学時代建築を見る旅と称して、リュック1つで、ヨーロッパ、アジアをうろうろしていた。

大学院に進んだ後も、建築デザインを学びながら、インドと中国の国境の国、

シッキム王国の伝統民家の調査に自腹で参加させてもらった。

 

シッキム王国を知っている人はほとんどいないと思う。

というのは、現在は、事実上インドのシッキム州となっているのだが、

インドへのシッキム王国の編入を認めない中国は、最近まで地図にシッキム王国が書かれていたという、

ちょっと厄介な地域だからだ。

(シッキム州ではないが、近くにダージリンという都市があり、なじみがあると思うが、行くことは結構難しい)

 

世界第三位の山、カンチェンジェンガ峰があり、木の生えない山岳地帯もあるが、

多くの場所が、針葉樹林帯に属し、日本の木造建築のルーツの可能性がある地域での、

実測調査は新鮮で、楽しいものだった。

 

シッキムで唯一の都市と呼べるガントクでは、ネパール、ブータン、チベット、インド(英国)と 様式、

宗教が入り混じり不思議な都市構成も面白い。(Wikiによれば人口29000人(2001)のシッキム州 州都)

 

残念なことに、シルクロード貿易と中国-インドの貿易ルートとして、

交易が盛んだったこともあり、

トタンの様な安価、かつ軽量の建材が流通してしまったことで、

街並みや、集落の美しさという集団としての美しさは既に失われていた。

 

隣国のブータンが、鎖国と辺境であるがゆえに残った文化と町なみ。

比較すると雲泥の差があり、地域の手、地域の材料で作ることの

大切さを身に染みて感じた瞬間であった。

 

 

プノンペンに到着すると、強い日差しながら、からりとした風が吹き、

インドや中東の様な、独特のにおいもなく非常に快適である。

中心地までの通りは活気があり、建設ラッシュ。

世代的に私にはわからないけれど、

きっと日本の高度成長期の様なものなのだろう。

 

今、プノンペン市内には、39階建て188mの超高層ビル

Vattanac Capital Towerが竣工間際である。

建築家はテリー・ファレル(Terry Farrell 1939-)

英国の大御所建築家だ。

 

今までプノンペンには四角い高いビルはあったが、

緩やかな曲線とうろこ状のサッシを使った斬新なデザインは初めてであろう。

屋上付近に突き出したテラスがあり、ホテルのレストランになるらしい。

 

地元の人によれば、ペンギンビルとも言われている。

フランス統治時代に多くの建造物が建てられ、

東洋のパリと呼ばれているプノンペンの低層(5~6階)の街並みの中から、

巨大なガラスのペンギンが抜け出し、見下ろしている光景は、地元の人にどう映っているのか?

 

 

私が、1996年(18年前)にクアラルンプールに行ったとき、

ちょうどシーザーペリ(César Pelli 1926-)設計の

ペトロナスツインタワーが建設中(452m 1998年竣工)だった。

 

あのころのクアラルンプールも、勢いがあり、おとなしいマレー人の中で、

インド人街と中国人街が、異常に活気づいていた。

きっとインターネットのない時代であるから、ギラギラした野心を持った

人が、躍起になっていたのだろう。 

 

さらに前、私が20歳のときだから、1993年。

バンコクに行ったときは、ひどい交通渋滞の記憶しかない。

今のプノンペンと同じように建設ラッシュで、高速道路建設も進んでいた。

 

高速道路ができたら、渋滞が解消されると

タクシーの運ちゃんは誇らしげに言っていたけど、

結局、ひどい交通渋滞は今も解消されてないし、

景観に関してはひどいものである。

 

どこも、日本の経済発展を模倣し、街並みをおろそかにし、 儲かればよい、

豊かになればよい、外国の都市の様になればよい…としているのであろう。

そのあたりは、日本人として反省し、

豊かさへ向かう開発プロセスを考えなければと思う。

 

文化や街並みに反してして作るものの意味。

バタナックタワーにしても、ペトロナスツインタワーにしても、 あのクオリティだから良いものの、

どこかのコピーペーストが簡単にできる時代だから、 ほんとに気を付けないと手遅れになると思う。

 

東洋のパリと呼ばれていたプノンペンになってしまう…

 

世界一観光客の多いパリやヨーロッパの様な都市は、 アジアではできないのだろうか?

ブータンでできているのは、鎖国のおかげなのであろうか?

滞在中、頭から離れないテーマである。

 

「高い建築がいらない」、「経済発展してはいけない」という話ではなく、

日本が外国の材料や技術が入ってきたときに、日本の伝統や気候風土の知恵との良い混合をしていると思う。

今、話題の富岡製糸工場を代表するダイナミックで程よい折衷様式が作られている。

そうしたその国の文化や風土の延長線上に、外国人(日本人)の感性と技術が足されることで、

新しいデザインが生まれるはずだ。

 

まずは、じっくりカンボジアという国を観察してみたい。

その為にも、小さなプロジェクトをまずは動かし、

様々な人と接し、現地の風を肌で体感することが大切に思えている。

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